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エデンの南

エデンの南

忘れられないグラナダ (つづき)

1997年11月26日(水) つづき

そろそろ部屋に戻って眠りたいと思っていると、カズキくんが、いきなり神妙な顔をして
「ネェ、今夜寝ない?」
と言ってきた。何なんだ?こいつ。私は思い切りウンザリした顔になった。
「私も部屋に来たのは悪かったかもしれないけど、結婚してるから、そういう事言わないと思ったのに。」
と言うと、
「結婚してるのは関係ないよ。自分の考えをしっかり持っているし、話をしてても楽しいし、魅力的だと思ったから、やっぱり肌で触れ合いたいと思うのは当然で…」
「店にたくさんの女のコは来るけど、こういう気持ちになったのははじめてで…」
などとまじめな顔で言ってくる。
「私は結婚している人は、初めから、そういう人として見てるから。」
と言うと、
「結婚してるからダメなんだったら、それこそブロ エストロペアドじゃないかよ。」
などとイジけるから、始末が悪い。ブロ エストロペアドだとか、不倫が悪いとかいう以前の問題で、とにかくこの男は全くタイプではなく、絶対に「寝たい」とは思わなかったのである。それでも朝には、イベリアに、航空券の日付け延長を言ってもらわなければならないので、あまり冷たくもできない。
「イヤならしょうがないけど。俺だって押し倒してまでやりたいと思わないよ。やっぱり相手に喜んでもらいたいから。」
だって。気持ち悪いよ。押し倒したりしたらそれこそ犯罪だ。冗談じゃない。
「カズキくんとは、話をしていて楽しいけど、そういう気分にはなれなくて。」
などと言うと、
「やっぱり俺には、男としての魅力がないってことか。」
とイジける。自分では魅力があるとでも思っていたのか? とにかく面倒くさい。
「そういう事じゃなくて、誰ともやりたいと思わないの。私も不眠症で薬飲んだりしてるから、そういう気分になれないのは、私自身おかしいのかもしれないし、とにかくあきらめて。」
などと言って、部屋に戻ろうとすると、
「そうゆう事聞くと、ちょっとうぬぼれに聞こえるかもしれないけど、俺が治してあげたいと思う。」
とのたもうた。これには吹き出しそうだった。とにかく、なんとか円満に切り抜け、
「明日 (と言ってもすでに今日になっている。) はイベリア一緒に行ってくれるよね?」
と、いちおう念を押し、さっさと部屋に戻った。しかし、また口説かれると思うと…やっかいな事になってしまった、と思った。


1997年11月27日(木)

 とにかく朝になり、カズキくんを呼んで、イベリアの支店に一緒に行ってもらった。宿からはすぐ近くにある。彼はどうやら二日酔いのようで、
「あれだけ飲んだのに、よく平気だなぁ。」
と言った。航空券は「変更不可能」と書いてあったし、多分ダメだろうと思っていた。ところが、すごく簡単に変更できちゃったのである。本当にアッと言う間だった。
 そしてこの二日延長は、本当に大きかったのである。

 イベリアを出てから、カズキくんが、シティバンクに行きたいと言うのでつきあった。ここまで来たのならと、私は「スーパーマーケットに行きたい。」と言うと、彼は「ここがいちばん安い」というスーパーに連れて行ってくれた。まあ、彼自身の買い物もあったからだ。私の買うものが少なかったからか、彼が、
「同じカゴに入れちゃいなよ。」
と言うので、それならひょっとしたら出してくれるのでは? と思ったら、レシートを見ながら、一ペセタ単位まできっちりとられた。一ペセタ単位とは言っても、スペインの店はどこもいいかげんで、一ペセタ玉というのはほとんど見かけない。五ペセタ単位で、切り捨てたり、切り上げたり、おつりなどはかなり大雑把である。彼にはこれが気に入らないらしく、「損した時には頭に来るよ。」と言っていたが、得する事もあるので同じだと思うし、全体的に安いのだから、私は気にならないけどなぁ、と思ってしまった。彼みたいな日本人的な人が、なぜスペインを気に入り、何度も来ているのか、不思議に思う。
 用事も済んだ事だし、私たちはバルで朝食を摂る事にした。彼は、朝は食べないらしくコーヒーだけである。私はミルクティーと、パン・コン・トマテを頼んだ。
「十二時前には、宿の延長を言わなくちゃ。」
と言っていると、ジョークだろうが、
「俺の部屋に荷物を移動して、一緒に住もう。」
などと言っている。ずうずうしいったらありゃしない。

 この後私は『アラブの浴場跡』を見ようと思った。川沿いの道を通って、左側にあるはずだ。川の向こうには、アルハンブラが見え、なかなかいい。しかし、アラブの浴場跡がどうしても見つからず、「まあ、いいや」と思い戻ろうとすると、おばさん二人が、塀から、下の方にある川を見ながら、
「まあ、な~んて可愛いんでしょう。」
としきりに騒いでいる。私も覗いてみると、猫が大小あわせて六匹ぐらいいただろうか?
黒いゴミ袋にたかっていたのだ。私は、二人のおばさんに感謝しながら、写真を撮った。
 この前入った中華料理屋で昼食を済ませ、カルトゥハ修道院に向かって歩いていると、だんだん晴れて、すごくいい天気になってきた。朝は寒かったので、私はマフラーと手袋をしていたものだから、マフラーは手に持つはめになった。こんな日にアルハンブラへ行ければ良かったのになぁと思い、それはちょっとくやしかったが、本当だったら今頃バルセロナ行きの飛行機に乗っている事を考えると、とにかく晴れてうれしかった。
 少し道に迷ったが、午後四時頃にはカルトゥハ修道院に着いた。外観は『中世』という感じがしてなかなか良い。ここの正面入口の右側に、広い庭が見える閉められた門があり、その門から可愛い中型犬がこちらを見ていた。修道院の中に入ると右側に、残酷な絵の数々が並んでいる。流血の多い、迫力のある絵である。左側には、とにかくきらびやかな聖器室がある。十八世紀中頃のもので、チェリゲラ様式というらしい。骸骨を手に持った男性の像もある。見る価値は充分にあった。見終って五百メートルぐらい歩いた所で、手に持っていたマフラーがない事に気が付き、急いでカルトゥハ修道院に戻った。歩きながら手には辞書を持ち、「落とした」という単語を調べ、とりあえず周りを探した。すると、犬のいる門の所にくくりつけてあるではないか。誰かがここに縛っておいてくれたのだ。グラナダ人の親切を、本当にうれしく思った。
 次は再びアルバイシンへ行き、サン・ニコラス広場を目指した。この広場から見えるアルハンブラ宮殿は世界一美しい、と書いてあったからだ。途中、七、八人の、子供たちの集団に会い、話しかけてきた。私が写真を撮りだすと、子供たちは喜んじゃって、
「もういっかーい、もういっかーい。」
と、すごくしつこく、五枚も撮ってしまった。だんだんノってくるからおもしろい。
「写真を送ってほしい。」
と言うので、住所を書かせたら、村の名前しか書かない。名前を書くように言うと、「ジェシカ」と書くだけで苗字もわからない。送ってあげたいが、これでは絶対に着かないだろう。まあしかたないやと思い、彼らにサン・ニコラス広場の方向を聞いて、別れた。

アルバイシンの子供たち1


アルバイシンの子供たち2


アルバイシンの子供たち3


アルバイシンの子供たち4

アルバイシンの子供たち


アルバイシン

アルバイシン


 サン・ニコラス広場にたどり着くと、天気がいいせいか、人がたくさんいた。日本人も何人かいる。ここからだと、アルハンブラの向こうには、シェラ・ネバダが見え、本当に美しい。石のベンチに座って眺めているうちに日が暮れてきて、アルハンブラがライトアップされた。私は荷物の重量を減らすため、三脚を持ってくるのをあきらめたのだが、写真を撮っていると、ラッキーな事に、親切な男性が三脚を貸してくれた。これは本当にありがたかった。きれいな写真が撮れて、感激だった。
 ここでは、歯のないようなじいさんにナンパされた。まったくスペイン人ときたら。
 満足した気分で、またエミリオさんの店に行った。エミリオさんも、私のグラナダ滞在二日延長を喜んでくれた。この日は、カズキくんは友達の家に呼ばれているとかで、エミリオさんと二人でバルに行く事になった。私はその方が嬉しかった。エミリオさんも上機嫌で、店を片付けながらはなうたを歌っていた。そういえば、マラガのアウロラさんもよく歌を歌っていた。しかも、すごく上手かった。
 エミリオさんは、昨日と違うバルに連れて行ってくれた。そこは、CD屋のマヌエルさんと一緒に入った所だった。牛の頭が飾ってあるので、すぐにわかった。ハモン・パタ・ネグラを食べた所である。ここは、お酒やツマミはとても美味しいが、カマレロの愛想はあまり良くない。忙しいせいもあるだろう。ここでは一杯飲んだだけで、すぐにキコさんセコさんのバルに行った。彼らも、私の二日延長をとても喜んでくれた。
 エミリオさんが、
「スペイン人は、両頬にキスをする挨拶をするけど、あれをどう思う?」
と聞いてきたので、私はもちろん、
「いい事だと思う。」
と答えた。アウロラさんや、ギターの先生ともこの挨拶をしたが、ちっともイヤな感じはしなかった。かえって、スペイン人と同じように扱ってもらえて、嬉しかったぐらいだ。ところが、エミリオさんの話では、頬をふいた日本人がいたそうなのだ。私はこれを聞いて、とても悲しい気持ちになった。そういう日本人がいるかもしれないと、想像はしていたが。その時のエミリオさんの気持ちを考えると、たまらない。
 エミリオさんも、マヌエルさんと同じように、日本人の事を日本人以上に良く知っている。たくさんの日本人と接触があるらしいが、その分たくさんの辛い、悲しい目に会っているんだろう。だからこそ私のような日本人の気持ちをよく解ってくれるんだと思うし、あんな風に人にやさしくできるんだろう。ふと、エミリオさんが、
「ブタを殺すのを見たいか?」
と聞いてきた。私には良くわからないが、何だかおもしろそうだと思い、「見たい」と言った。私はスペインの田舎のごく一部で行われるブタの虐殺、『マタンサ』の事を知らなかった。
 今日もエミリオさんは、先に帰らなければならなかったが、前日よりも少し長くいてくれた。キコさんとセコさんは、
「アツコはまだ帰らないよね。」
と、すがるように言うので、もう少し残る事にした。エミリオさんが帰った後は、二人の勧めでカウンター席に移った。テレビではサッカーが放映されていて、皆、夢中になって見ていた。スペインでは、テレビやラジオで、毎日サッカーが放映されたいた。隣に座っていたブラッド・ピッド似の若い男性が、牛テールを食べていて、一口私にくれたのだが、大変美味だった。
 十二時ちょっと前になり、結構酔ったなと思ったので帰ろうと思い、お金を払おうとしたら、すでにエミリオさんが払ってくれたらしく、私の払う分はなかった。二人のカマレロも、夜遅くなると、おごってくれちゃうらしいのだ。二人とも、
「アツコ、もう帰ってしまうのか。」
と、さびしそうに言うので、私は当然、次の日もここに来るものだと思っていたので、
「明日は私にとってはグラナダ最後の特別な夜。絶対にここに来るよ。」
と言ってバルを出た。しかし、ここに来るのは、これが最後になってしまったのだった。


1997年11月28日(金)

 再び、アラブの浴場跡を探すと、今度は見つかった。あまりにも普通の家と同じだったので、わからなかったのだ。十時には開くはずなのたが、十時を過ぎても開かない。
私は午前中のうちに、『ロルカの家』にも行きたかった。一時から四時まで閉まってしまうからだ。戸を何度かたたいてみると、中からおばさんが出てきて、
「こんなに朝早くにどーたらこーたら。」
とブツブツ文句を言いながら門を開けた。
 浴場跡はたいしたことなく、すぐに見終ってしまったが、この家の庭がきれいなパティオになっていたので、写真を撮った。文句を言いそうなおばさんだったので、おばさんが見ていないうちに、急いで撮った。
 『ロルカの家』とは、フェデリコ・ガルシア・ロルカが一九二七年から三六年にかけて夏を過ごしたサン・ビセンテ農園の事で、私は最初、てっきりここは遠いのかと思っていたので、予定に入れてなかったのだが、エミリオさんに聞いてみると、歩いて行ける距離だという事がわかった。ハルディネス・ネプトゥーノの近くだという。こことは別に、ロルカの遺体が埋められたオリーブの木があるのだが、そこは少し遠いらしい。でも次にグラナダに来る時には、そこにも是非行きたいと思う。
 大きい公園の中に『ロルカの家』はあった。十時五十分頃行くと、
「十一時からなので、十分待ってほしい。」
と言われたので、公園を散歩した。黒白のブチ猫が一匹、こちらを見ていた。用心深い猫で、近づくと逃げてしまう。そのうち木に登り出し、その格好がおかしくて、写真を撮った。
 十一時にロルカの家へ行くと、『ファリャの家』と同じように、写真は撮れないが、今度は若くてカッコイイお兄さんが案内してくれた。ロルカの絵や、人形劇の背景画などを見て、ロルカの才能の凄さをあらためて感じた。ロルカとダリは、親しい友人だったので、ダリからのプレゼントであるダリの絵もたくさん展示されていたのがうれしかった。
 昔の、チョコラッテを作る機械もあった。二時間カカオをつぶし、六時間火にかけて…と、チョコラッテ作りに一日中かかったそうだ。勿論今ではもっと簡単に作られている。
 お兄さんが、「君のために特別。」と言って、引き出しから昔のレコード盤を取りだし、私に持たせてくれた。ズッシリと重かった。側には蓄音機が置かれていて、
「あれで、このレコードを聴いたんだよ。」
と教えてくれた。最後には、彼も私も「グラシアス」とお礼を言い、握手をして別れた。

 グラナダでは、一時から四時か五時ぐらいまで、ほとんどの所が閉まってしまう。私もお昼を食べて、部屋でゆっくりする事にした。お店の開く四時半頃までゆっくり休み、エミリオさんに教えてもらっていた本屋に行き、ロルカの詩集を買った。詩というのは、リズムか重要な役割を果たす。だから翻訳してしまうと、良さが隠れてしまう事もあると思うので、原文のものを見てみたかったからだ。
 エミリオさんに、六時に店に来るように言われていたので、六時頃行ったのだが、ここで結構待たされた。スペインでは三十分待たされるのは当たり前だと思った方がいい。
 待っている間、二人の日本人女性が店に入ってきた。奥の方でカズキくんが、そのうちの一人を、スペイン語の先生に、
「エジャ バイラール ムイ ビエン (彼女は踊りがとても上手い。) 」
と紹介していた。その顔を見て、アレッと思った。だいぶ前だが、テレビ番組『海の向こうで暮してみれば』に、グラナダでフラメンコをやっている『カルメン・あやこ』と名のる日本人女性が出演していたが、ひょっとしてその人ではないか? と思ったのだ。聞いてみると、やはりそうだった。カズキくんの話によると、彼女は今は『ロサ』と名のっているそうだ。付き合っている人が、以前に『カルメン』という名前の女性にひどい目にあわされたとかで、「変えてほしい」と言われ、ロサに変更したそうだ。
 私の名前『アツコ』も、スペイン人にとっては、かなり言いにくいようなので、
「スペイン人の名前を考えた方がいいんじゃない?」
と言われたが、それはカッコ悪いからイヤだった。カズキくんは、
「なんで? 名前なんてどうだっていいじゃん。俺だってこの辺では、ゴンサロって呼ばれているよ。」
と言うが、私に言わせれば、例えばエミリオさんが日本に来れば『よしお』と呼ばれるとか、それと同じ事だと思うので、ものすごく変な事のような気がするのだ。
 六時半頃になって、車でエミリオさんの家へ向かった。カズキくんも一緒だ。彼の言によると、店に来る女のコは誰もマタンサを見たがらないそうで、「めずらしいね。」と言われた。
 エミリオさんの家に着くと、とても大きなブタが木につながれていた。エミリオさんファミリーの家々に囲まれた広い庭があり、ここでブタの屠殺をやるのだ。このブタ一頭で一年中の豚肉がとれるそうだ。
 バケツ何杯かに入った、ものすごく大量の玉ねぎに驚いた。
 小さい子供も何人かいて、楽しそうである。ブタ殺しは若い男の人達でやる。おばさん達はブタの血を混ぜたり、お湯をかけたりしている。ブタのあまりに大きい叫び声に驚いた。このように殺された生き物を食べて、人間が生活している事を知った子供は、きっと食べ物をムダにしたりしないと思う。
 エミリオさんの奥さんが、皆にお酒や料理をふるまっていた。皆、お酒を飲みながら楽しそうにやっているのだ。ここでご馳走になったオリーブは、今まで食べた中でいちばん美味だった。家庭で、三日間ぐらいかけてじっくり作られるから美味しいのだそうだ。私は、スペインに来る前はオリーブが嫌いだったのだが、スペインで美味しいオリーブを食べているうちに、わりに好きになっていた。特に、オリーブの種をぬいて、中にアンチョビをつめたものが一番好きである。
 マタンサの仕方はこうだ。ブタはまず喉のところを切られ、すごく騒いだあと死に、お湯を流されて毛を剃られ、爪をとり、吊される。そして股をさかれ、キンタマをとられ…という感じだ。私はその過程を興味深く見た。全部終わるまでには三日かかるそうだ。オジサン達が「ここが肝臓で、これが腸で…」などと、指さしながら丁寧に教えてくれた。
 この後は、ものすごく巨大な鍋で玉ねぎを煮、そのまわりの椅子に皆で座り、食べたり飲んだりしながら雑談をした。十才の男の子の話に、皆、爆笑している。スラングが飛びかい、私には話の内容が全くわからなかった。カズキくんは爆笑しながら、
「十才でこれだもんなー。」
などと言っている。私が意味を聞いても、
「ちょっとこれは感覚的なものだからなー。日本語には訳せないよ。」
なんて言って、全然教えてくれなかった。私は一人孤独におちいりながらトイレに行くと、このトイレの中で、犬が寝そべっていた。 (トイレは外にある。) この犬は中型犬で、名前を『ルナ』という。ここにはもう一匹、小型犬の『ココ』がいる。ルナはとても頭の良さそうな、やさしい目をしている。私が「もう、全然わかんないよねー。」などと日本語で話しかけると、彼女には、私の気持ちがわかるようだった。犬を撫でていると、気持ちが落ち着くので、しばらくここにいた。
 エミリオさんが「宿まで送んなきゃ。」と言ってくれた時には、もう夜中の三時をまわっていた。エミリオさんは、明日も仕事だ。彼は一週間休みなしだと言う。スペイン人はあまり仕事をしないと言うのはウソだと思う。お昼はゆっくり休むが、結構よく働く。
 私は、こんなにスゴイものを見る事ができて、何てラッキーだったんだろう、と思うのと同時に、キコさん、セコさんに会えなかったのは悲しかった。
 車の中でエミリオさんが、
「スペイン人にとっては『今』がすべてなんだよ。」
という意味の事を言った時、なぜだかわからないが、涙があふれてきてしまった。テレビで天本さんが言っていた事を思い出した。
「日本人は、過去と未来の事ばっかり考えてる。スペイン人には『今』しかない。そこが素晴らしいんだ。」
 宿に着き、車を降りると、エミリオさんが、
「彼女、泣いているよ。」
と、笑った。私はきちんとお礼が言いたかったのだが、できなかった。エミリオさんは、
「すぐに戻って来るよね。」
とやさしく言い、お互いの両頬にキスをして別れた。
 その後カズキくんが、
「二日延長して良かったね。」
と言ったが、その時私は、「最後に何でこいつの顔見なきゃなんないんだ?」と思っていた。それでも考えてみれば、二日延長できたのも、この人のおかげである。
 宿に戻っても、私は涙が止まらなかった。


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